CozyCatShelterのブログ

猫の保護活動を始めました。保護施設Cozy Cat Shelterと老猫ホーム「気ままな猫の家」をしています。進んでいく上で数多く悩むと思いますが、応援よろしくお願いいたします!

対立

今日は、保護猫活動について考えている事を綴ってみようと思います。

私はSNSで発信されている内容やネット上の情報を見て、いつも疑問を抱きます。

どんな話題だって、言い争っているのはいつも人。猫はあくまでも題材に過ぎません。

例えば、野良猫にご飯をあげる。

猫に迷惑している人は、そんな勝手な事はするなと言い、あげている人は可哀想だからと言う。

ただ可哀想だと思ってご飯をあげている人は、ただ助けたいだけだと言い、保護猫活動をしている人は無責任な餌やりは迷惑だと言う。

何でこんな事になっているの?

私はこのどれもが正しいと思う。
そして、どれもが改善する点があると思う。

猫に迷惑している人達はそれが事実。
だからこそ、どうすれば地域が住み良くできるかのアイデアを持っている人でもある。
こんな人達と協力しない手はない。
(可哀想な)(迷惑な)猫を減らしたい。
結局の所、目的は一緒。
それさえ伝われば、状況は変えられるはず。

野良猫が可哀想だと思ってご飯をあげている人。
保護猫活動の発端なんて、みーんな猫が可愛い、猫が可哀想、そんなものだと思う。
私だってそう。
だから、その気持ちから一歩踏み出して行動できている事は本当に素晴らしいと思う。
でも、せっかく一歩を踏み出したのに、何故ネットで『野良猫 餌やり』とでも検索してみなかったの?
そうすれば、ご飯をあげる事による弊害、問題、次に何が必要か、いくらでも答えは出てくる。
ご飯をあげる事がゴールではない事に気付けるはず。
知る事で見えるものは必ず違ってくる。

保護猫活動をしている人は、もう本当に多くの事を知り、痛く苦しい思いもして、現在に至ると思う。
だからこそ、もう知っていると思う。
保護猫活動と言っても、実際は猫相手より人相手の方が大変だと言う事を。
人の協力なくして、活動はできない。
そんな時に、一歩踏み出したばかりのヨチヨチ歩きの餌やりさんに何故厳しく当たるのだろう。
ただ、その人の状況に合わせて教えてあげればいいのではないか。手を引いてあげたらいいだけなのではないか。
感情をぶつけるだけなんて意味がない。
きちんと言葉を選んで伝えれば、受け取る側は必ず変わる。
今まで培ったものを存分に継承できるチャンスかもしれないのに。


保護活動者同士だって、あっちの団体は間違っている。やり方が姑息で腹が立つと言い、こっちの団体は言っても分からないと言う。

意見が違うのは素晴らしいこと。
自分の考えをシフトチェンジするきっかけにもなるし、より研ぎ澄まされて精度も上がる。
同じ意見を持つのも素晴らしいこと。
自分の考えが確固たるものになるし、視野が広がる。
どちらも必要な事なのに、何故敵対するのだろう。勝ち負けではない。

特に今は、新しい時代にするための大きな変革が生まれようともしているし、昔ながらの考えが根強く残っている時でもある。
考えが違う人とも手を結んでいく努力が必要なのではないかと思うのです。

皆さんは、どう考えますか?


新しいキャットタワーを設置
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